おはようございます。
予約投稿が便利すぎて実際の日付と記事の起きたことの乖離が出始めてます。
まあ来月までには多分介護職員初任者研修は書き終わるのでそっからは以前のだらしない大学生の日々をお届けできそうです。
別に誰もいらねーか。
9日目の始まり始まり
今日の講師は…わからん…。
依然来たのは間違いないけど、何日目だったか…。
4日目とかか?忘れた…。
多分講師の教鞭基準みたいなのが定めてあるのだと思うけど、み~んな話の間に実際の体験を小ネタとして挟んでくる。
ちなみに一番眠くなる原因だからこれを見ている要項を書いてる人はすぐにやめさせてください。
今日も今日とて小ネタが飛んできたのだが、
訪問介護の際、介護保険法の定めによってお菓子はもらえないから困るし、働けない高齢者のお財布にダメージがいってほしくない。という話だった。
老人の生きがい重視ならもらっとけよと思う。
上記法で定められた介護プランからは一歩も踏み外してはいけない。というのが決められているが、今回は「それくらいゆるくやればいいじゃん」という類の話ではない。
今回は老人側の話。
介護者にお菓子を出すのは、もちろん儀式的な一面もあるが、(個人的にこの側面は嫌いだ)主として「ありがとう」や孫にあっているような気持ちからくるものだと推察する。
先ほどご老体の財布にダメージを与えるのが嫌だという話を聞かされたといったが、
老人側はそもそも自分のお財布事情をいい意味で気にしていないのだと思う。
決して人生に投げやりになったのではなく、
残りの人生<今、目の前にいる人の笑顔
この図式を脳内に無意識に作り出しているのではないだろうか。
なら私はお茶菓子を笑顔でもらいたい。
「あざっす!」
ただ飯ゲットだぜ。
私はただお金を気にしながら長く生きていたいのではない。
悔いなく、楽しく、最後には笑って「いい人生だった」と言えるように生きたいのだ。
法律は、国家は、政治家は、偽善者連中はこれを分かっていない。
身体・精神の著しい衰退がある高齢者にのみ、安楽死の許可を健康な時にもらえばできるように法案を可決していただきたいんだが?
そんな世界になんねーかなぁ…。
ならなさそう。悲しみ。
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