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Fラン私文の4年間は無駄ではなかった。大学進学を悩む高校生へ送る【人生論】

人生論
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「Fランの大学に金払って行くくらいなら高卒で働いたほうがマシだ」

世の中の人間全員に聞いたとして、YESかNOで答えろと言われたらYESと答える人の方が多いのかもしれない。

特に若年層は大学への進学はほぼ当たり前という刷り込みがある。また、大学側もビジネスだ。どんどん入学者を増やそうと動くのも当たり前のことで、その結果現役の半数以上が大学へ進学することとなった。昨年2020年は55.4%の現役高校生が大学への進学を確かにした。※文科省調べ

このような中、相対的に今まで現役高校生を雇用ターゲットとしていた企業群はFラン大学生をターゲットにするのは至極当然のことである。私自身様々な就職情報を見て痛感している。

それならば高い学費を払って学士をへて就職することは非効率で、早くに社会経験を得てその業界の専門スキルを会得していくことが好ましいと言えるだろうか。

私は一概にYESとは言えないと考える。

大学には何を学びに行くのか

  • 専門的な分野の基礎から応用を学び研究する場、これを就職後・院進に役立てる。
  • 有名大学卒業の肩書を取りに行く場
  • 人生最大の遊びの期間を得られる場

これらのうちに正解があるかどうかは個々人の主観の問題なのでどうでもいいのだが、私が一案を講じたい答えがある。

モラトリアムを延長し、人生の方向性を考える場

呆れてしまっただろうか、「世界一周して本当の自分を見つけてくる」このようなよくわからない行動とほぼ同じといっていいだろう。

だが少なくとも私は方向性が苦節21年でどうにか定まった。苦節?楽節の間違いであったか。

もちろん早いに越したことはない。当ブログで頻出する人生よよよは高校生時代ですでに方向性が定まっていた。彼以外にも将来が明確に描けている若者はたくさんいるだろう。一方で、私のようにモラトリアム終わりのギリギリまで明確に”夢のような生き方”を発見することのできない若者も多い。むしろこちらの方が多数かもしれない。特に近年の若者は情報量の多さからネガティブなリアリストになりやすいかもしれない。中にはそのまま人生を終えるものもいるだろう。

もし迷っているなら私は進学をお勧めする。Fラン私文であっても。

もちろんモラトリアムを延長しているという感覚を忘れてはいけない。

ただいつもの通りに行動していてはそのままいつの間にか大学4年間が終わる。私がそうだった。本当にぎりぎりであった。しかし間に合った。これならスタートは悪くないと思える就職結果に自分を褒めてあげたくなる。

色々な情報をインプットすることを常に意識するべきだ。これは意識の高い言葉に聞こえるかもしれないがネットサーフィンレベルでもいいのだ。実際私がそうなのだから、これ以上の説得材料はない。

Fラン私文でも例えば、企業と事業を興したり、自然を救うボランティア的なやつとか、色々探せばある。校内じゃなくてもインターンシップに低学年のうちから行くのもいいかもしれない。

そのように経験することで、自分が何をすれば一番生きがいを感じることができるのか分かるようになるはずだ。その逆もしかりで、自分のやりたくないこともわかる。

私はいわゆるガクチカを作ろうと行動した結果、「何もしたくない、自由に遊びたい」というやりたいことが見つかった。行動することでダメ人間が創出される。皮肉かな。



間違っても社会経験とかいって半グレや大学デビューのパリピとは関わらないよう、百害あって一利なし、間違いない。

最後に、奨学金はよく考えるように

私自身奨学金を借りていないのでよくわからないが(ボンボンか?)

借りてまで行くのかはよく考えた方が良い。

社会人になってから返す場合、自分の”夢のような生き方”の種類によっては強く足を引っ張ってしまうからだ。例えば私のように早期リタイアを目指す場合は言わずもがな、逆に働き始めた場所がすでに自分の生きがいだった場合は問題はないだろう。奨学金を返すのにあくせく働かなければいけないかもしれないが、それ以上に人生を楽しめているからだ。

人生論
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Fラン私文卒が介護職で楽しみながらセミリタイアするまでのブログ

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